隠居爺の人生ブログ

人生二週目だと先が見える

後期高齢爺の人生と経験伝授

私は最先端機器マニアの高齢者

私は1947年生まれで、最初のコンピュータのENIACとほぼ同じ年齢です。
はじめて市販されたパーソナル・コンピュータと出合ったときは異常な興奮を覚えた。
使い方も解らないままに、ローンで購入した。
手に入れられたことが嬉しくて、いくらの支払いだったのかは覚えていない。
シャープのクリーンコンピュータMZ-80Kという一体型のパソコンだった。
ゲームを楽しんだり、仕事に使ったりできるものではなく、自分でプログラムを書いて楽しむものだった。

この時代は、まだラジオ工作やアマチュア無線が盛んな頃で、ゲームの先駆的なハドソンも札幌で小さなお店を営んでいたパーツ屋さんだった。

その時から私は最先端機器マニアである。
珍しいもの好きの性格は、仕事にも影響し、同じ仕事や変化のない仕事に我慢ができなくなる。

自由に仕事をしたい、変化のある仕事をしたい、価値ある仕事をしたいという気持ちが大きい。
新しいことを見つけたら、もうじっとしていられない。

もう一方では、職人という世界が好きだ。
コツコツと作り上げていく世界が大好きだし、名工さんを尊敬している。
でも、一生を同じ事で過ごすことには我慢ができない。

このために、波瀾万丈の人生を送ることになったのだが、他の選択肢はなかっただろうと思う。
もし、人生をやり直せても同じ事をするだろうと思う。

「もし、若返られたら何歳になりたい?」
こんな話が時々されることがある。
私は若返りたいとは思わない。
理由は、どうせ同じ事をするだろうから変わらないよと思う。

私は田舎の企画屋として過ごしてきた。
田舎の企画屋とは食えない企画屋と同意語だろうと思う。
都会の企画屋の友人から、都会に出てこないかと誘いもあった。
その話はすぐに断った。
都会の企画屋は仕事が専門化されていて、仕事の範囲が狭い。
なんでもやりたい私の性格では無理だと知っているからだ。
「田舎のネズミは都会では暮らせない」

おかげで、興味の範囲は広く、止まることを知らない。
どんなことにも興味を持ち、やたらと感動する。

還暦

60歳を迎えたとき、人生の終わりとした。
前に進むのは、もう辞めにしよう。
世の中の迷惑になる年寄りにはなりたくないという気持ちがあった。
世間から身を退き、隠匿生活をしようと決めていた。

そして、旅立ちの準備をはじめた。
これは若い頃から考えていたことだが、身体が動かなくなったときに遣りたいことが残っていたら、死んでも死にきれないくらいに悔しいだろうと思っていた。
旅立つときは、「ああ、これで終わった」と思いたいものである。

中途半端になっていることを終わらせようと考え始めた。
しかし、終わらない・・・・・・
一応、5年もあったら終わるだろうと考えていたが無理だった

それから、自分の体調をチェックした
運動能力は衰えているが、まだ頑張れそうだ
じゃあ、あと5年頑張ろうと決めた
毎日、一生懸命に生きている
こんなに忙しい人生は初めてかも知れない

私の人生を振り返ると、七転八倒と暗黒時代がある。
七転八倒は、最後は立ち上がりがあったから、それなりの退屈しない人生だった。

問題は暗黒時代だ。
信頼していた人たちを裏切り、裏切られ、生活は破綻した。
人と会うのが怖くて引き籠もりになった。
しかし、意識だけは抜け出そうと必死にもがいていた。
そんな生活が5年くらい続いていた。

ある出会いがあって、人間として復活することができた。
この話は長い脱線話になるので、いつかの機会に書くことにする。

私はワンコと同居している
ワンコにとって私は三代目の飼い主である
私はワンコによって支えられている
恩義あるワンコを置いて、先に逝くわけにはいかなくなった
そんなわけで、健康に気を付け、筋トレまでするようになった。
そのワンコも近頃ではすっかり元気がなくなった。

年金と僅かな家賃収入で暮らしているが、どうも少し足りない
それで、ブログとアフリエイト、そして著作を始めた。
ブログもアフリエイトも聞いた話のようには稼げない。

動機が狂ってきているようだ
基本に戻ろうと考えた。

少しでも、世の中の役に立つことをしたいと思った
必死に考え、悩み、不器用ながらも頑張ってきた。
伝記の読み過ぎなのか、正義感が邪魔くさいほど強い。
これも私自身だと諦めて、素直に生きよう

70代の爺のブログでも若い人の役に立てるかも知れない
そう思ってブログを開始します。

人生経験は山のようにあります。
「こうするために頑張ろう」ではなく「このままではこうなるよ」と見てきたことを教えられる。
お気軽にご相談ください。

はこび天舟

2022年6月30日記す
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70代のブロガー