隠居爺の人生ブログ

人生二週目だと先が見える

チョット雑談ーためになる話ー


ユーチュバーで人気のひろゆきさんが紹介していた話ですが、幅広い人に参考になると思って、私なりに咀嚼し、ご紹介します。

話の内容は、人間の知恵・知識・能力のお話です。
一人の老人が、若者達に聞いた。

大きな壺に、大きな石を壺いっぱいに入れて、聞いた。
「この壺はいっぱいだろうか?」
若者達は答えた。
「もう、壺には入らないよ」

すると老人は、小さな石の入った籠を出し、壺の中に入れた。
小さな石は、大きな石のスキマに入っていき、壺にいっぱいになった。
老人は唖然としている若者達に再び聞いた。
「もう、この壺はいっぱいだろうか?」
若者達は答えた。
「さすがに、もう入らないでしょう」

すると老人は、砂の入った器を取り出し、壺の中に入れた。
砂は大きな石と小さな石のスキマに入っていき、壺をいっぱいにした。
老人は、半分呆れている若者達に聞いた。
「この壺はいっぱいだろうか?」
今度は、若者達も少し考えてから答えた。
「今度こそ、もう入らないでしょう」

すると、老人は水の入った瓶を取り出し、その水を壺の中に入れた。
水は、壺には何も入っていなかったかのように、どんどん水を飲み込んでいった。
老人は若者達の顔を眺め、満足そうに微笑んだ。

話は、ここまでですが、この話からどんな事を思ったでしょうか?

その時、その場にいた若者達は、自分で限界と思ってはいけないと思った。
でも、ひろゆきさんは、物事には順番がある。
知識も経験も、順番を間違えたら入らなくなる。
勉強する時に勉強し、行動するときに行動する。
もし、勉強しないで、後で必要になったからといっても間に合わないと解釈した。

逸話というのは受け取る人の違いで、随分と変わるものだと思った。
それぞれが正しいのでしょう。
といっても、みんなの結果が同じと言うことではない。
話を聞いた時にどんなことを学べるのかは、その人の持っている壺の中に何が入っているかで変わるのでしょう。
解釈を背伸びする必要はない。
その時に、受け取った理解があなたにはベストなのだろうと思う。
いつの日か同じ話を聞いたときに、あなたの理解が変わっていることでしょう。

人は、自分の壺の中に何が入っているのかを知らない。
それでも、壺いっぱいに入っていると思っているのだろう。
「もう、壺はいっぱいで、もう何も入らない」と思うことが怖い。

私はいつも思っている。
「私の壺には、小石までしか入っていない」
だから、貪欲に知識を得て、たくさんの経験をしようと考えている。

私の壺は、入れても入れてもいっぱいにならない。
底に穴でも空いているのか、伸びるゴムででもできているのだろうか。
そうそう、人の持っている壺の大きさも、形も、色も違っているのだろうと思う。
だから、壺に入れるものも違うだろう

個性は誰も口を挟むことのできない大切なものだ。
偉大な芸術家も、すぐには認められなくて、没後に認められた人はたくさんいる。
個性を評価するのは、私たちのはできないのだろうと思う。

私は個性ほどステキな宝石はないと思う

2022年7月2日記す

後期高齢爺の人生と経験伝授

私は最先端機器マニアの高齢者

私は1947年生まれで、最初のコンピュータのENIACとほぼ同じ年齢です。
はじめて市販されたパーソナル・コンピュータと出合ったときは異常な興奮を覚えた。
使い方も解らないままに、ローンで購入した。
手に入れられたことが嬉しくて、いくらの支払いだったのかは覚えていない。
シャープのクリーンコンピュータMZ-80Kという一体型のパソコンだった。
ゲームを楽しんだり、仕事に使ったりできるものではなく、自分でプログラムを書いて楽しむものだった。

この時代は、まだラジオ工作やアマチュア無線が盛んな頃で、ゲームの先駆的なハドソンも札幌で小さなお店を営んでいたパーツ屋さんだった。

その時から私は最先端機器マニアである。
珍しいもの好きの性格は、仕事にも影響し、同じ仕事や変化のない仕事に我慢ができなくなる。

自由に仕事をしたい、変化のある仕事をしたい、価値ある仕事をしたいという気持ちが大きい。
新しいことを見つけたら、もうじっとしていられない。

もう一方では、職人という世界が好きだ。
コツコツと作り上げていく世界が大好きだし、名工さんを尊敬している。
でも、一生を同じ事で過ごすことには我慢ができない。

このために、波瀾万丈の人生を送ることになったのだが、他の選択肢はなかっただろうと思う。
もし、人生をやり直せても同じ事をするだろうと思う。

「もし、若返られたら何歳になりたい?」
こんな話が時々されることがある。
私は若返りたいとは思わない。
理由は、どうせ同じ事をするだろうから変わらないよと思う。

私は田舎の企画屋として過ごしてきた。
田舎の企画屋とは食えない企画屋と同意語だろうと思う。
都会の企画屋の友人から、都会に出てこないかと誘いもあった。
その話はすぐに断った。
都会の企画屋は仕事が専門化されていて、仕事の範囲が狭い。
なんでもやりたい私の性格では無理だと知っているからだ。
「田舎のネズミは都会では暮らせない」

おかげで、興味の範囲は広く、止まることを知らない。
どんなことにも興味を持ち、やたらと感動する。

還暦

60歳を迎えたとき、人生の終わりとした。
前に進むのは、もう辞めにしよう。
世の中の迷惑になる年寄りにはなりたくないという気持ちがあった。
世間から身を退き、隠匿生活をしようと決めていた。

そして、旅立ちの準備をはじめた。
これは若い頃から考えていたことだが、身体が動かなくなったときに遣りたいことが残っていたら、死んでも死にきれないくらいに悔しいだろうと思っていた。
旅立つときは、「ああ、これで終わった」と思いたいものである。

中途半端になっていることを終わらせようと考え始めた。
しかし、終わらない・・・・・・
一応、5年もあったら終わるだろうと考えていたが無理だった

それから、自分の体調をチェックした
運動能力は衰えているが、まだ頑張れそうだ
じゃあ、あと5年頑張ろうと決めた
毎日、一生懸命に生きている
こんなに忙しい人生は初めてかも知れない

私の人生を振り返ると、七転八倒と暗黒時代がある。
七転八倒は、最後は立ち上がりがあったから、それなりの退屈しない人生だった。

問題は暗黒時代だ。
信頼していた人たちを裏切り、裏切られ、生活は破綻した。
人と会うのが怖くて引き籠もりになった。
しかし、意識だけは抜け出そうと必死にもがいていた。
そんな生活が5年くらい続いていた。

ある出会いがあって、人間として復活することができた。
この話は長い脱線話になるので、いつかの機会に書くことにする。

私はワンコと同居している
ワンコにとって私は三代目の飼い主である
私はワンコによって支えられている
恩義あるワンコを置いて、先に逝くわけにはいかなくなった
そんなわけで、健康に気を付け、筋トレまでするようになった。
そのワンコも近頃ではすっかり元気がなくなった。

年金と僅かな家賃収入で暮らしているが、どうも少し足りない
それで、ブログとアフリエイト、そして著作を始めた。
ブログもアフリエイトも聞いた話のようには稼げない。

動機が狂ってきているようだ
基本に戻ろうと考えた。

少しでも、世の中の役に立つことをしたいと思った
必死に考え、悩み、不器用ながらも頑張ってきた。
伝記の読み過ぎなのか、正義感が邪魔くさいほど強い。
これも私自身だと諦めて、素直に生きよう

70代の爺のブログでも若い人の役に立てるかも知れない
そう思ってブログを開始します。

人生経験は山のようにあります。
「こうするために頑張ろう」ではなく「このままではこうなるよ」と見てきたことを教えられる。
お気軽にご相談ください。

はこび天舟

2022年6月30日記す
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70代のブロガー

人生の90%は思い通りにならないもの

私は中学生の頃から夢を追いかけてきた

その夢は変わる事なく追いかけている

70歳を過ぎても変わらないで追いかけている

 

他人は夢を掴めなかった男と言うだろう

でも、私はそうは思わない

追いかけている途中なのである

おそらく、私が死ぬまで追いかけつずけると思う

 

人生を振り返ると、90%は思い通りにならなかった

思いもつかない人生の連続だった

こんなに思い通りにならない人生でも後悔はない

結構楽しい人生だと思っている

 

明王エジソンは電球を作るために2万回以上も実験を行った

決して失敗の連続ではなく、成功への一歩の繰り返しなのだ

毎日が成功への一歩が楽しくてしょうがなかっただろう

 

人生は成果ではなく、目標に向かって進んでいる興奮と感動の連続

思い通りにならないといって悩む事なかれ

未来はわからないから未来であり、予想通りにならないから楽しいのである。

 

チャレンジは永遠に終わらないだろう

楽しい人生も終わらない

未知の未来に感謝